Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

ふたたび『ノマドランド』

アカデミー作品賞、監督賞、主演女優賞を得たおかげで上映回数が増え、昼間も観られるようになったのはラッキーでした。



前回は(『運び屋』のような)高齢者のロードムービーだとばかり思い公開日に観賞。

決して裏切られた訳ではなかったけれど、

何かが違うと感じ、原作を読んだ。


原作は実際のノマドたちを密着取材したノンフィクションで、高齢労働者たちの社会問題を扱うものだったのです。

その主人公格のリンダメイが、ノマド仲間として映画にも登場していたのにはビックリ。

主演女優マクドーマンドとのやり取りも自然で、

作品が作り物にならなかった功績は大きいですね。


リーマンショックで家を失った高齢者たちが、車を住まいとし季節労働を渡り歩く姿は、今のアメリカの格差社会を、少なくともその一面を描いているのは間違いないところ。


ガラクタを生産し、流通させてゴミを生む、

Amazonという巨大システムが取材に協力的であったことを、原作者は不思議がりますが、

映画では原作にあるような過酷な労働は描かれていません。

むしろノマドたちの現金収入源として存在しているかのよう。

きっとAmazonのイメージを損ねないことが条件だったのでしょう。

キャンプ場のトイレ掃除もしかり。


それが映画の限界?

観客は美しさ壮大さ、心を打つヒューマンドラマを求めてお金を払うのですから、仕方ないです。

お金を払って醜く不快なものは見たくないですから。

ウソでもハッピーエンドにしてほしい。


『ノマドランド』はどこまでも自然体、

撮影も自然光で、ハッピーアワーを狙って撮ったと言います。



フランシス・マクドーマンドは三たびのアカデミー主演女優賞に輝き、その地位を不動のものにしました。



彼女がいなければ、この映画の成功はなかったのは間違いないです。

最初のオスカーを手にした『ファーゴ』も、

これは観なくてはなりませんね。


今回はポイント観賞。

アカデミー賞受賞のご祝儀みたいになりました。

久しぶりのモールに、

こちらも人間らしさを取り戻した思いです。


村上春樹の短編

同世代作家なので、

彼の作品は発表される都度、読んでいると自負していたけれど、

考えてみたら(考えるまでもなく)忘れている。

1年ほど前から長編を読み直していますが、

落とし穴は短編でした。



文庫本で読んだはずの作品も、

この英語版の作品構成で読むと新鮮なのです。

まあ、覚えていないので(笑


彼の小説の特徴として〈体臭のなさ〉をあげたりしますが、

(誤解を恐れず言えば)中身がないと思ったりもします。


30年以上前の私と今の私、

随分変わっているはずなのに、

ピタっと嵌る感じがするのは何故?


たぶん中身のない器だから、

世代を問わず、国籍を問わず、

受け入れることができるのではないでしょうか。

何でも受け入れる器。

ただし器にも好みはあるので、

彼の作風を嫌う人がいるのは仕方ないと思います。


春樹の長編には、井戸に落ちた、落とされた(あるいは好んで入った)話が多く、

心理学的な比喩も含めて、

井戸の底のような感覚を味わうのがその特徴と言えそうですが、

彼の敬愛するレイモンド・カーヴァーの短編『僕が電話をかけている場所』にも井戸に落ちたエピソードが語られていることを知り、

改めて共通性の多い作家だと思いました。


落ち込んだとき、

どっぷりと浸るなら村上春樹です。

井戸の底体験ができる作家だと、個人的には思っています。

もちろん春樹訳のカーヴァーもおすすめ。

ただし、こちらは井戸ではなく

こじんまりした邸宅でしょうか。

ステレオタイプのおばあさん?

柚月麻子作『マジカルグランマ』



柚月さんといえば「ブラック麻子」と「ホワイト麻子」がいるらしく、

前者を『ナイルパーチの女子会』『BUTTER 』、

後者を『ランチのアッコちゃん』を代表とするなら、

『マジカルグランマ』は、たぶん前者。


読書で前向きに元気になりたい時も正直あるけれど(ビタミン小説)

本音丸出しで引き込んでいたいときもある。


柚月麻子さんは、たとえブラックでも「引きこもり」には向かない。

戦う人なのだ。


『マジカルグランマ』は、75歳の女優が主人公。かわいいおばあちゃん役で売っていたが、

風向きが変わってバッシングの対象になってしまう。

経済的にも苦しくなった彼女の開き直った発想は痛快ではあるけれど、マネは出来ないな。


マジカルって魔法使いかと思ったらステレオタイプのこと、現役世代に都合よく使われるタイプをいうらしい。

いつの間にか嵌め込まれている型、それに呑み込まれ都合よく使われないように、

そう言っているのかも知れないけれど、

私を含めて世の大半の老人はステレオタイプに収まることで、何とか居場所を得ているもの。

それを破ることのメリットって…


女優ではないおばあちゃんは、

せいぜい心の中でブラックになります。