Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

ある写真

ジェラシーというのは、
好きな異性に対して感じるものと思われがちだが,
それは自己愛の変型(亜種)のようなもので、
要するに、自尊心を傷つけられたということ。
その人が特に好きでなくても、
自分を差し置いて、他にぞっこんになるのが許せない、
そんな感じか。



もちろん全くの他人なら、気にすることもないはずで
<自分のもの>と認識していたのに横取りされた、
それが面白くないのだ。


「ファインダー越しにしか貴女を見ることができなかった・・・」
と言われ、いい気になっていたが、何のことはない。
気になる女性なら、いくらでもファインダー越しに覗いていたい、
それが男の本音だったのだ。
もちろん男の言うことに矛盾はない。
うぬぼれて解釈した自分が悪いのだ。


ずいぶん前の写真だ。
こんなものがあることすら忘れていた。
パソコンの掃除をしようとピクチャーを開き、偶然見つけてしまった。
コロナを知らない、今から思えば平和な世界だ。
奈良公園は鹿と東洋系の外国人であふれていた。
彼女はひとり旅のようで、
ひとりで来るようなところではなかっただけに、目立つ存在だった。


その彼女がスマートフォンを取り出し、連れにシャッターを押してほしいと頼んできた。
もちろん連れは気楽に応じる。
写真を趣味とする人で、わたしなどをモデルにして撮っていたほどなのだ。
それを見て彼女も頼んできたのかもしれない。
一人旅の女性にとって連れのいる異性は、ある意味、安全圏なのだ。


しかし、彼はなかなか戻ってこなかった。
しびれを切らして、その撮影現場を見に行った。
そして直感したのだ。
彼はファインダー越しの画像を楽しんでいると。
二人の周りには人垣までできていた。


ただそれだけのことなのに、
なぜかこの写真は捨てられずに残っていた。


とにかく蒸し暑かった奈良盆地の思い出、
あの鹿せんべい依存症のシカたちは元気でいるのだろうか。