『曲り角』
井上陽水のアルバム「招待状のないショー」に、「曲り角」という自作の歌がある。
僕は曲り角で
こけた ほんの少し
みんな笑いころげ
僕はいたく傷ついた
些細なことに、よくもここまで拘ると、最初はあきれた。
でも、今はそう思わないのは、
同じようなことを5年ほど前に経験したから。
人がこけるのは、なぜか笑える。
私も傍観者だったら笑っていたかもしれない。
ひとりだったら、誰にも見られなかったことに胸を撫で下ろしただろう。
けれどその時、
滑りやすい靴を履いて湿原に行く羽目になった時、
心の中では(早く帰りたい。こんなところに来るなんて聞いてないし)とひとり毒づいていた。元職場の仲間たちとどこかへ行った帰りだったのだろう。
ぬかるんだ道に渡された木の道は、傾いている上に濡れていて、私は滑るのではないかと危惧した。
滑りそうで怖い、と言ったにも関わらず、誰も先に渡ろうとも、手を繋げば大丈夫とも言ってくれなかった。
早く帰りたい一心で渡ろうとしたら、見事に(予想通りに)滑った。
スローモーションのように。
滑った先には水たまりがあり、着ていたブラウスは泥水にまみれた。
すぐ横で見ていた男性がウエストポーチからタオルハンカチを取り出し、渡してくれた。
喜びかけたのも束の間、
「これで早くカメラを拭いて」と言ったのだ。
カメラ?
私よりカメラの心配をしていたのか。
この話は、職場ですると思いの外受けた。
「ひどいでしょ。カメラを拭けと言ったんですよ」と、私は強調する。
人に接する時はやさしすぎない様に
友達が出来た時は深い仲にならぬ様に
と、井上陽水は続ける。
こんなことを今更書くのは、強烈な寒波がやって来た今朝、9時過ぎまで待っても北側の道路の凍結が怖く、ほうほうの体でウォーキングしてきたから。
摩擦って、偉大だ。
重力も、偉大だ。
無重力体験はなかなか出来ないが、摩擦のない世界はすぐ体験できる。
みんな曲り角で
こけろ‼︎ 俺の様に
俺がそれを言うと
みんな、あきれはてた
井上陽水は、この体験のあと、曲調が変わったという。
自他の距離、それを知るのは、ほんの些細なことなのだ。
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