Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

なにげなくな日々

川上弘美さんの小説『三度目の恋』を読んだ。

読書会の助言者さんのおすすめ本だった。

彼女を知ったのは芥川賞を受賞した頃。

当時は我が家も夕刊を取っていて、その文化欄に彼女のエッセイがあり、それが忘れられなかったのだ。

小説を書いては自宅の壁に貼っている。けれど自宅では誰も読んでくれない。仕方がないので夫が帰ってくると、彼を捕まえて無理やり読ませる、みたいな。

変わった人だなぁ。

でも経歴をみればお茶の水大卒なので、頭は良さそう。その一風変わった人柄は作品にも現れて、現実と非現実の境が限りなく曖昧な独特の世界なのだ。

お気に入りの作家だったので、夫の出張に付いて上京したときも、彼女のエッセイは忘れずに持っていった。

夫を仕事に送り出すと、私は岩波ホールで映画を観た。

『原始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯』

もちろん岐阜では上映館なし。あったとしても客は1人か2人に違いない。

ところが岩波ホールはすでに満員で、やっと確保した席で観た映画は、学校で上映してもいいような、地味な内容だった。

東京の知識層の厚さにびっくり仰天した出来事だった。

夫の仕事が終わるまで、皇居の公園で川上弘美さんのエッセイを読んで時間を潰した。

それが『なにげなくな日々』だったのだ。

こんなつまらないことを、どうして覚えているのか。よほど記憶力がいいのかしらと思っていたら、

午後に観たDVD『バニラスカイ』も同じ頃、近所のシネコンで観た記憶があるのだが、

覚えているのは、主人公のトム・クルーズがとにかく金持ちのイケメン御曹司で、キャメロン・ディアズが振られ役、恋人はキュートなペネロペ・クルズだったくらい。

タイトルの「バニラスカイ」が、モネの絵からきていることも、空がバニラ色である時は彼の夢であることも今回初めて知った。

当時のわたし、本当に理解できていたのか。


だから、川上弘美さんの記憶もあてにはならない。

いつしか記憶は塗り替えられ、自分の都合の良い形になってしまっているのだ。

先日ちらっと見た『われらの時代』というTV番組、岡田将生さん、志尊淳さんと、女性は平手なんとかさん。

学生時代のモテ話になり、「すごくモテたでしょ」と話を振られた平手なんとかさん、

「わたしがモテるはずないじゃないですか。でも、一度でいいから『実はモテたんです』と言ってみたかった」と。

「言っちゃいなよ。別にウソだって構わないじゃん。言いたかったら言えばいいんだよ」と男性たちにけしかけられ、ついに「実はモテたんです」と言った時の、平手なんとかさんの愛らしかったことといったら。

真実って、事実とは違う。

笑顔を作れば、たとえ作り笑いでも、何だか幸せな気分になってくる。

声に出して言えば、それが真実になるんだ。

記憶もそんなものかもしれない。

思い出はバニラ色、悪夢でなければそれでいい。