村上春樹の短編
同世代作家なので、
彼の作品は発表される都度、読んでいると自負していたけれど、
考えてみたら(考えるまでもなく)忘れている。
1年ほど前から長編を読み直していますが、
落とし穴は短編でした。
文庫本で読んだはずの作品も、
この英語版の作品構成で読むと新鮮なのです。
まあ、覚えていないので(笑
彼の小説の特徴として〈体臭のなさ〉をあげたりしますが、
(誤解を恐れず言えば)中身がないと思ったりもします。
30年以上前の私と今の私、
随分変わっているはずなのに、
ピタっと嵌る感じがするのは何故?
たぶん中身のない器だから、
世代を問わず、国籍を問わず、
受け入れることができるのではないでしょうか。
何でも受け入れる器。
ただし器にも好みはあるので、
彼の作風を嫌う人がいるのは仕方ないと思います。
春樹の長編には、井戸に落ちた、落とされた(あるいは好んで入った)話が多く、
心理学的な比喩も含めて、
井戸の底のような感覚を味わうのがその特徴と言えそうですが、
彼の敬愛するレイモンド・カーヴァーの短編『僕が電話をかけている場所』にも井戸に落ちたエピソードが語られていることを知り、
改めて共通性の多い作家だと思いました。
落ち込んだとき、
どっぷりと浸るなら村上春樹です。
井戸の底体験ができる作家だと、個人的には思っています。
もちろん春樹訳のカーヴァーもおすすめ。
ただし、こちらは井戸ではなく
こじんまりした邸宅でしょうか。
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