Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

好きな映画、好きな作家

どうして好きなのだろう。

それを説明出来ないから、好きとしか言えない。


一昨年、映画館で観た『ボヘミアン・ラプソディー 』



ロック・グループのクイーンは当然知らない。

ロックに興味がないのだから仕方ない。

が、映画を観る気になったのは、その評判があまりにも高く、ロングランが続いていたから。

そんなミーハーな理由、もちろん軽い気持ちで観た。

映画館で時間を潰すには、長い映画の方が好都合だったのだ。


「ボヘミアン・ラプソディー 」という曲も当然知らず、フレディ・マーキュリーも知らず、クイーンのヒット曲も知らないのだから、無知なおばさんもいいところ。

その白紙状態が良かったのか、とにかく感動してしまった。

この歳になると、映画に感動するといっても、どこか余裕があるものだ。なかなか、いいんじゃないとか、よく出来ているね、なあんて。


でも『ボヘミアン・ラプソディー 』に関しては、私自身を持っていかれた感じだった。

感想を書けないのは、クイーンというロックバンドにあまりにも無知だからということもある。

が、フレディ・マーキュリーの壮絶な生き方が呑気な感想を語らせてくれなかったのだ。


今度こそDVDでゆっくり観て分析しよう、そう思っていた。

が、やっぱりそれは出来なかった。

何度観ても「持っていかれて」しまうのだ。


ロックには無縁と言いながら、ああ、この曲は知っているというのがいくつかあった。


1970年代、それこそクイーンの曲はビートルズと同じように「青春の音楽的壁紙」のようなものだったのだ。





村上春樹はデビュー間もない頃から、リアルタイムで読み続けてきた。

彼の作品はもちろん全て読んでいるが、この『一人称単数』は最新作。

8つの作品からなる短編集だ。

その中のひとつ、「ウィズ・ザ・ビートルズ」に、ビートルズはパナソニックのトランジスタラジオから流れる青春時代の背景音楽だった、と描かれている。

まさにビートルズもクイーンも、知らないうちに心に浸食していた青春の壁紙だった。


短編集はひとつひとつが粒よりの村上春樹そのものだ。

詳しく感想を書きたいけれど、今はその気力はないみたい。

昼ご飯抜きで裏庭の草取りをしたので。


これから心地よく疲れて、

ビールを飲みながら大相撲を観る。

これ以上の極楽はないと思いながら。