麦草ヒュッテ
安曇野は憧れの地だった。
殆ど忘れてしまっていたのに、旅友に誘われ、大王ワサビ農場に行くことになったのは1週間前。
実はワサビ畑には苦い思い出がある。
友人とふたり、大学の夏休みを利用して訪れた信州は、清らかな山の湧水に育まれているというワサビ畑も、目的のひとつだった。
汗にまみれて山道をさすらい、やっと見つけたワサビ畑、感動のあまりその水に触れてみたいと、畔を下った。
その時、足場の石垣が脆くも崩れてしまったのだ。
直すことも出来ず、誰もいないので謝ることも出来ず、そのままにして去ってしまったことは、どうしても忘れられない思い出になってしまった。
辛い思い出だから、忘れられないのだと思っていた。
ところが、ふと思い出して昔のアルバムを探してみれば、
まさに畑に下りる瞬間を、同行の友だちが写していたのだ。写真と記憶は混然となり、いつしか写真の記憶だけが残っていく。
それが〈ワサビ畑の真実〉だったとは。
黄ばんだアルバムはもう半世紀近く前のもの。
今のワサビ農場はすっかり観光地化した、楽しい場所だった。
新鮮な朝日を受けたワサビ畑に、超然と歩く猫
こんな記憶が、また次に繋がっていくのだろうか。
不思議なもので、写真をみればイモヅルのように当時の状況を思い出す。
それはたぶん、大学3年の夏だった。
友人は加古川に住むので、名古屋駅で待ち合わせをした。ところが、待てど暮らせど友人は来ない。
ひと電車遅らせて待ち、仕方なくひとりで松本に向かったのだ。
どんよりした気持ちの中央線の思い出は、限りなく暗い。
最初の宿は松本だったか。泊まれるだけの質素なところ。
暗くなって投宿し、宿の主人から東海道線が大幅に遅れ、友人があの手この手で私に連絡しようとしたことを知った。
まだ携帯など、ない時代のことだ。
名古屋駅で構内放送のお願いもしたという。
旅館の主人には、
遅れるけれどきっと行くので待っていて欲しい、食事は先に済ませて、との伝言。
2日目は鄙びた温泉宿というか、夕食は凹んだアルミ鍋や山菜、煮魚など、私の食べられないものばかりだった。が、その友人は「時間さえかければ大丈夫」と完食した。
初めて知る友人の一面だった。
3日目は憧れの宿、麦草ヒュッテだ。
ガイドブックの赤い屋根の山小屋は、まるでスイスのよう。
国鉄の茅野駅からバスに乗って終点まで。
そこは標高2000メートルを越える高原、
というよりは登山の起点だった。
旅館ではなく、本物の山小屋だったのだ。
客はほとんどが山男。
屋根裏のような部屋に案内され、質素な食事を済ませ、友人が鞄から本を取り出した。
「お誕生日おめでとう」と差し出されたのは赤い和紙のカバーをかけた単行本。
串田孫一の『若き日の山』だった。
その本は今も大切に、手元にある。
若い日の思い出だ。
麦草ヒュッテは60年の歴史を重ね、健在のよう。いつか訪れることがあれば、ゆっくり珈琲でも味わってみたい。
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