Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

タリンのハグ

6年前の今頃、友人とフィンランドを旅していた。
旅日記を書いたはずだが、
10年以上続いた前のブログを削除してしまったので、この記事も消えたものと思っていた。
ところが、当時はワードに書いてコピペしていたようで、
ドキュメントにその原稿が残っていた。
写真も大半は整理したけれど、さすがにフィンランドだけは手つかずだ。


やっと読み終えた『ミレニアム』にも、タリン(エストニア)はちょっとダークな感じで登場するのだ。
スウェーデンの小説を読んで、既視感を覚える場所があるのは驚き。
一週間にわたる旅の、タリンの部分を取り出してみた。


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6月22日(日) ヘルシンキ滞在4日目
この日の朝は早い。
タリン行に7時には乗船しなければならないのだ。


タリンも寒かった。ありったけの服を重ね着してきたが、それでも出ている部分が寒い。
港から町へ向かう道で、着ぐるみの人がチラシを配っている。
可愛かったのでカメラを向けると手を振ってくれた。


しかも近づくとハグしてくれた!
あったか~い。 ふと涙ぐみそうになる。人恋しくなっているのか。
手渡されたチラシはチボリパークとかいう遊園地のものだった。
孫と遊園地で遊べたらなあ。


さてわれわれはタリンの旧市街へ。


中世の石畳の街。

ここのメインは何といっても聖オレフ教会(オレヴィステ教会)。その塔は1470年から1625年までの間、世界一の高さを誇っていた。今は改修されたが、それでも123.7m。
2ユーロでチケットを購入するように言われ、教会の入場券と思い買う。
が、何とそれは尖塔に上る入場券だった。
60mの塔を、狭いらせん階段でひたすら上るのだ。
幅50センチほどの階段は、当然中心部分の板は狭く、下りてくる人がいればその狭い部分につま先をひっかけ、道を譲らねばならない。
ティモが先頭、友人、わたしと続いた。
辿り着いた展望台は30センチほどしかない足場にすのこが敷かれているだけ。すれ違うことは不可能。
展望は抜群、だが知らない街なのでただ見晴らしているだけ。

運動して寒さがしのげたのでよしとする。


お昼は中世の衣装をまとった呼び込みさんの勧めに従い、オルテ・ハンザで。

中世ギルドの何とかコースみたいのを頼んでみる。
壺のような器に入ったハニービールが美味しい。
料理はやっぱり食べきれず。


午後は雨。しかもやみそうにない、しとしと雨。
トラムを利用して新市街に向かう。カドリオルグ宮殿をどうしても見せたいというのだ。
ロシアのピョートル大帝が1718年にエカテリーナ1世のために建てたバロック朝の宮殿。


が、エストニアはこの日が国民の祝日になっていて休館。
KUMUという国立美術館も休館。


どこも休館。


お昼に飲んだビールのせいもあり、ひたすらだるい。
旧市街まで歩いて戻るか、トラムに乗るかと聞かれ、もちろんトラムを希望。
歩くという選択肢があること自体信じられない。
ティモはどこまでタフなのか。
トラムの運転手は行きも帰りも女性だった。


フィンランドも働く女性が多い。
ティモが言うには、男はいつも戦争に駆り出されているので、生活は女性の手で守るしかなかったからだと。


帰りはスーパースター号。行きはスター号だったから、少しは昇格?(笑)
雨の打ち付ける窓からカモメの飛び交う姿を見る。
ティモはアルコールが入りテンションが上がっている。
お相手は彼女に任せ、私は少し眠ります・・・

ウエストターミナルから9番トラムに乗り、無事ホテルに到着した。
トラムのチケットには22:46と打刻されていた。


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って、たかだか6年前なのに、なんて体力があったのだろう。
読んでいるだけでしんどくなる強行軍だ。
学生時代に知り合って年賀状だけやり取りしていた友人に誘われ、
彼女の友人ティモが案内してくれるからと、一週間のヘルシンキ滞在。
後にも先にも、もっともハードな旅になったのは間違いない。
苦い思い出ゆえに、印象も深かった?


教訓:たいして親しくない友人と一緒に旅してはいけない。