Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

『15時17分、パリ行き』

このタイトルを見ただけで、ワクワクしてしまう。

公開されたのは確か3年ほど前。

クリント・イーストウッド監督作品、

絶対観ようと思っていたのに、見逃してしまったのは、観たい映画が目白押しで、まだ仕事もしていたから。


おかげで、リタイア後にゆっくり観賞できるのだから、まぁいいか。

何事にも「機が熟す」ときがあるものだ。

時間だけはたっぷりあるおかげで、3回も観賞できた。


実話だという。

イーストウッド監督は実際に起きた出来事を淡々と描く手技に定評があるが、本作は俳優ではなく、当事者に再現してもらっているというから驚いた。



映画は、銃撃犯が電車に乗り込むところから始まる。

何かが起こる「不気味さ」が重層低音のように響く。


一転して、カメラはカルフォルニア州サクラメントの小学校に。

なんと、銃撃犯を捕えたアメリカ人青年3人組の少年時代に遡ってしまうのだ。



学習障害を疑われる問題児であることは、昨日観た『グッバイ・サマー』によく似ている。

普通の子ではどうしていけないのかな〜

まあ、これは実話なので仕方ないか。


問題児であり、シングルマザーではあるけれど、母親を愛し、信仰心を失わない真っ当な青年たちだ。


中心人物であるスペンサーは太り気味だが、人を助けたいという中心はブレず、体を鍛え、軍隊に。他の2人も軍隊に所属するようだ。

赴任先はお互い遠く離れても、休暇を利用して一緒にヨーロッパ旅行することに。



人生は何かに導かれているのだろうか。

スペンサーがしばしば語る言葉だ。



彼らがこの列車に乗らねばならぬ必然性はなかった。

もっとアムスにいたい、パリは気が進まないと何度もぼやいていたのだ。



スペンサーが身体を鍛えたのも、

気心の知れた3人が同じ旅をするのも、

何かに導かれていたのだとしたら。


自分ひとりで生きているつもりでも、

流され、誘導されているとしたら。


それが作品のテイストになっているのか、ストイックな印象を残す作品だった。