Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

『グッバイ・サマー』

14歳。
自身のそれを思い出しても、甘酸っぱいというよりほろ苦く、
ほろ苦いというより痛々しかった、あの中途半端な時期。


ミシェル・ゴンドレー監督の自伝的作品だという。

ミクロとあだ名される、右側の女の子みたいな少年ダニエル。
彼が監督の分身なのかな。
女の子と言われるのはイヤでたまらないのに、髪を切るのは拒む複雑な年ごろ。
目立ちたくない、でも皆と同じなのはイヤ。
(ちなみにこのシーンは自慰についてダニエルがニノに相談するところ。
同い年とは思えないニノの兄貴ぶりだ)


左の大きな少年が転校生のニノ。
古道具屋を営む父親を手伝うせいで油くさく、あだ名はガソリン。
病的に肥満した母親に代わって食事も作る。
が、そんな生活環境にもめげず、明るい。
このテオの明るさが、作品の救い。
なにしろ、ひ弱なダニエル、不安定な母親(なんとこの役がオドレイ・トトゥ)、パンクした兄とその取り巻き、貧困に負けたニノの両親、と見事に暗い登場人物の中で、このテオ少年だけが明るい笑いを振りまいている。


若いっていい。
席が隣同士になっただけで、この二人は友達になってしまうのだ。
いや、お互いに「浮いた」存在だったとか、周囲から「はみ出して」いたとか、
惹き合う要因は他にもあったろうが、
小学校時代に2度も転校した自身の経験を顧みても、席が隣になったことは運命的といってもいい出会いだった(と思う)。


機械いじりが得意なテオ、芸術的なひらめきを持つダニエル、
二人で廃品を集めて車を作り、夏休みに旅に出ようなんて、
まるで「スタンド・バイ・ミー」!

しかしこの車は認可されず(そりゃ、そうだ)
諦めようとするニノに、ダニエルが妙案を。
車でなければ問題ない。動く家を作ればいいんだ。


廃品を集めては売ってお金を作り(子供の資金作りは廃品回収か新聞配達。こんな時代がなつかしい)
彼らは本当に動く家を作り、旅に繰り出す。


しかし、そうそううまくはいかない。
車を焼かれて失い、歩いて帰るハメになった二人は、お互いをののしり始める。
常に兄貴分としてふるまっていたテオが、ダニエルの「身勝手さ」を攻撃する。
ああ、これが14歳なんだなあ。
青くて、もろくて。


でも、すぐに仲直りして、家に帰ればやっぱりまだ子ども。
再び転校生として去っていくテオ、
二人のその後が気になるけれど、映画としてはこれで完結。


14歳の夏は二度とやってこないのだ。