Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

怖いお兄さん

昨夜からの雨、それでも午前8時過ぎにはウォーキングに出かける。

ただの習慣、でもそれをなくしたら何も残らないから。


大げさだけど靴下二枚重ねにして、防水性のある登山靴を履く。

まあ、ゴム長よりは歩きやすい?


雨脚は強く、ビニール傘には容赦ない雨音。

そういえば『日日是好日』には、水音に癒されるシーンがあったけど、それは都会人の感覚だと思う。


田舎では水の音は生活そのもの。

水を制するものは天下を制す、じゃないけど、水は魔物だ。

川が溢れ、津波が襲い、家を流す。

逆に干上がったら、死ぬしかない。


管理された用水の水音でも、わたしはやっぱり怖い。

水は生活とともにあり、使い方を間違えれば凶器にもなる、ちょっと怖いお兄さん。



瓦のこんな使い方にも生活の知恵。



傘には“lets go out”

今の時期は「おうちにいよう」だけど、心だけでも遊びに行きたい。


夕方、次男とその娘(7歳)が、片道1時間半かけて自転車でやって来た。

自転車のお株を取られた感じ。

よおし、わたしも頑張らなくちゃ。

出来ることは何?

「おうちにいよう」と、自粛要請は厳しくなるばかり。

感染者数も増えていて、とうとう市内にも感染者が。

田舎だからといって、もう圏外ではないのだ。


元々、勤めていないので家族以外の人と殆ど会うこともなく、ウォーキングと室内エクササイズは今まで通り、買い物は自転車で近所のスーパーに週二回ほど。

言われなくても自粛生活のようなもの、何も困ることはないだろうと思っていた。


ところが、たまの気分転換の映画も、友との旅行も、外食もダメというのは意外と応える。

唯一の気分転換だった図書館通いも出来なくなり、万事休すだ。


おうち生活が長引くと、荒れ放題の庭が気になり出した。

剪定の庭師さんも入れず、放置し続けたツケというか、勝手に生え始めた木が、庭木を侵食し、大変なことになっている。

昨日今日の話ではないはずなのに、心が家にない時は気づかなかったのだ。


夫と2人で、毎日庭仕事の日々。

おかげでよく眠れるようになった。

自粛生活にもいいことはあるね。



朝ウォーキングのタンポポが可愛い


立たされた思い出

朝ドラの『エール』で、主人公の窪田正孝が学校の廊下に立たされるシーンがあった。

ご丁寧にバケツを両手に持たされて。

これは「立たされる」罰則の中では1番重いもので、教師が彼に手を焼く様が偲ばれるというものだ。

「ばぁばも小学生の時に、廊下に立たされたことがあるよ」と言うと、孫たちは色めき立った。


5年生の時の担任は、スパルタ式の厳しさで有名な大美先生だった。

算数に力を入れていて、2時間でも3時間でも算数の授業ばかりをした。

宿題も半端なく、真面目なわたしは「忘れていく」度胸もなく、半分眠りながら解いていた。


その日は特に多かったせいか、全部出来なかった子がクラスの半数近くいた。

大美先生は、容赦なく彼らを後ろに立たせた。

そして、残った子たちが順に当てられ、答え合わせをしていった。

わたしの番が来た時、なんとその問題だけ飛ばしていることに気づいた。

何と間の悪い、

けれど言い繕う器用さもない。


大美先生のカミナリが落ちた。

「やってないのに、やったフリする人間が1番悪い。廊下に立ってろ」


もう1人、間の悪いKちゃんと一緒に、生まれて初めて廊下に立つことになった。


算数の時間は終わったが、大美先生の授業は終わる様子もなかった。

その教室は音楽室の隣だったため、音楽を終えて教室に戻る隣のクラスの子たちが、私たちを取り囲んだ。

2人とも「廊下に立たされる」常連ではなかったので、

「どうした、どうした」と騒然としたのだ。

大美先生が廊下に出て、我々を取り囲んでいた子どもたちを追い払った。

Kちゃんは、

「なあんだ、中に入れ、と言ってくれるかと思ったのに」とぼやいた。

その後、どんな経緯で戒めを解かれたのかは覚えていない。


大美先生のスパルタは返事の仕方にまで及んだ。

名前を呼ばれて「はい!」と返事しなければ、箒の柄で叩かれた。

クラス全員の名が呼ばれていく。

自分の番が来たら、「はい!」と大きな声で言うのだ。

わたしは緊張のあまり、声が上ずった。

「ヘイ、とは何だ!」

大美先生のカミナリがまた落ちた。

まさか、ヘイなんて言うはずない。

が、大美先生に口答えは許されず、箒の柄でしこたま頭を叩かれた。

笑いを堪えたような先生の顔に似合わず、それは結構痛かった。

「ワタシ、ヘイなんて言ってなかったよね」と、級友に聞いた。

すると誰に聞いても、「ううん、ヘイって言ってたよ」と。

この頃から、自分は緊張すると何をしでかすかわからない、と思うようになった。


そんな体罰が許された時代だった。


大美先生もご存命であれば90代の御隠居だろうか。

今や懐かしい思い出だ。



押し合いへし合いして、春がやって来た。