Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

「サウンド・オブ・ミュージック」

毎朝、1時間ほどかけてエクササイズをする。

テレビやジムのトレーナーさんに教わった運動を自己流に組み合わせて、バタバタと。


ツイスト運動、スクワット、肩こり対策や腹筋、片足立ちでバランス取って。

フラフープやけん玉まで、そのコンテンツは増えるばかり。


そのBGMに手持ちのCDをかけて、雰囲気を盛り上げようというわけだ。


この曲選び、何でもよいようなものだが、スローな曲調では間延びするし、リズミカル過ぎてはついていけない。


ジュリエット・グレコのシャンソンが、長さも曲調もジャストフィットして、1カ月以上聞き込んだ。


次の候補は加藤登紀子だったが、どうもリズムが合わない。


「サウンド・オブ・ミュージック」のサウンドトラックはどうだろう。

なじみのある曲ばかりだ。


が、懐かし過ぎてつい聴き入ってしまう。


この映画は中学1年の時に観た。

高校生の姉に前売券を買ってもらい、ついて来るなと言われても姉の後ろをついて歩いたっけ。


どのシーンも心に焼き付いて、その世界に憧れた。

戦争の意味は今ひとつ分からず、アルプスの美しい風景と、広大な貴族の館ばかりに目が行った。


担任の英語教師は、サウンドトラックのLPを大人買いしてクラスの生徒に聴かせ、「ドレミの歌」を英語で教えた。

今でもちゃんと英語で歌える。

半世紀以上の時間に飛んで、しばし13歳のわたしになり切った。


というわけで、「サウンド・オブ・ミュージック」を聴いていると体操のカウントを忘れてしまうのだ。

記憶とは、決して時系列に並んでいるわけではなく、どこにでも簡単にくっつく。


今はコロナ自粛でどこにも出られないけど、過去への旅は自由だ。

今度は「アリーマイラブ」で試してみようかな。



まだ咲いている桜


緊急事態宣言?

学校も幼児園も休みで、退屈しきっている孫のY(7歳)とS(5歳)、

「遊んで〜」とやって来る。

乳飲み子を抱えているママも大変だろうと、

じいじとふたりで孫のお相手。


庭で、かくれんぼ、追いかけっこ、かけっこ

うさぎのお引越し


ああ、くたびれる。


ふと、枝の伸びすぎた木が目につく。

ノコギリで切る。切る。切る。

切っても切っても、スッキリしない。

じいじを呼んで、ノコギリ交代。

孫たちは切った枝で遊び始め、「もっと切れ」と叫ぶ。


切られた月桂樹の後始末をし、抜けそうな腰を労る。


それを見た娘が、何という労働をしているのかと、コンビニでコーヒーとお菓子を買って、やって来た。



「7日から始まるはずの新学期は大丈夫か」と、娘もお嫁さんも感染者の増え続ける地元(岐阜)を心配する。


さて、一夜明けたが、東京の感染者は三桁になり、明日にも非常事態宣言が出そうだ。


わたしは我慢に我慢を重ねていた美容院に、4月6日の予約を入れていた。

が、春休みは終わっても新学期は来ない。

学校は引き続き休みのままだ。

こんな時に、3時間もかけて縮毛矯正する勇気はなく、美容院にはキャンセルの電話。


もうひと月以上の引きこもりに、もはやこちらが日常と化しつつある。


「コロナが収束しても、もう元には戻れないかも」

「いまさらボランティアなんて出来るかなあ」


これはこれで困った事態ではある。

畦道の梅、校庭の桜

昨日は娘宅の孫ふたりを預かる日

ママの出勤に合わせ9時にはやってくるので、早起きしてウォーキングを済ませておく。


いつの間にやら冬モードを脱し、6時には朝日が上る。



写メを出勤途上の友人に送ると、「蛍みたい!」と。



コロナ禍で休校になり、子どもたちは路頭に迷ったが、その受け入れ先に多くの祖父母たちの貢献(自己犠牲?)があるはず。


娘宅の7歳と10歳の子が来れば、隣に住む5歳と7歳になる長男の子が狂喜する。

昼ごはんは6人がけのテーブルがいっぱいになる。

時間と労力だけでなく、昼食代、おやつ代の出費もままならない。

もちろんママたちも手ぶらで孫を連れて来るわけではないけれど、こっちも手ぶらで迎え入れるわけでもない。

親には甘えてもいいとの不文律は、子にも親にもある。

それでなくてもフラストレーションが溜まるが、そんな愚痴をヒマな年寄りがこぼすことは許されない。


まあ、それでも昨日は終わった。

どんなに大変でも、終わらない日はない。


今日は何の予定もない。

ゆっくり朝の散歩を楽しもう。



これは遅咲きの梅

こんなに花が綺麗だから、きっと実はつかないだろう。

田んぼの脇に、何かの間違いのようにひっそりと咲いていた。

梅はボチボチと咲く。

人は人、自分は自分というように。

だから映えない。


ところが桜はそうはいかない。

校庭、公園、堤防と、人々の鑑賞に耐え、見事に咲き誇らねばならないのだ。



散歩コースの小学校に子どもたちの声は聞こえない。

人っ子一人いない校庭に、桜だけはお約束の花を咲かせる。




10年近く歩いているのに、こんな間近に桜を観るのは初めてだ。

これも引きこもりのおかげか。



白っぽいのもあれば、文字通り桜色のも。


花の魅力というより、この圧倒的なボリュームと散り際の儚さに、桜は桜たりえてきた。


梅だってよく見れば桜に劣らぬ艶やかさ



寒さにめげず咲く梅が好きだ。