Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

美容院に行けない!

癖毛の上に剛毛、

この髪質の故に、どれほど泣かされてきたことか。


40年以上も前、

結婚して住んだ東京では、近くの美容院に「縮毛矯正」のメニューがあった。

信じられない思いで施術を受ければ、クセが伸びきらず、美容師さんに「もう一度試せて下さい」と言わせるほどの、

厄介で酷いクセ。


岐阜に帰って数年、行きつけの美容院でも「縮毛矯正」を見かけるようになった。

が、当時のそれは何とも大がかり。

セロファンの下敷きを貼りつけて、熱い熱い熱を放射され、耳たぶを火傷したこともあったっけ。

それでも、憧れの直毛になった時は、天にも昇る心地だった。


お金も時間もかかった。

東京の友人に話したら、「そのお金と時間で、東京往復できるね」と言われた。


ずいぶんリーズナブルになったとはいえ、時間とお金がかかることに変わりはない。

4時間近く、トイレにも行けず、座り続けねばならないのだ。


もう年金生活でそんな贅沢は出来ないし、体力的にも限界、

そんな躊躇もあって、去年の9月以来のご無沙汰になっている。

目立ってきた白髪は、自分で染めた。

パサついてくる髪はトリートメントでなだめる。

伸び続ける髪は、そのうちゴムで結えられるだろう。


そんなこんなで躊躇するうちに、新型コロナの流行、4月には収束するかと予約を入れていたのに、緊急事態宣言まで出されることに。


こうなったら、もう選択肢はない。

ひたすら伸ばして、癖毛にも耐える。


半世紀前の自分に戻るだけ?

いやいや、残念ながら髪の量も質もその頃に比べ、もはや見る影もない。


髪は長い友だちなのか。

女の命なのか。


ちょっと持て余し始めてるなぁ


今日も子守。

4人の孫の嬌声に、電話してきた化粧品のセールスレディが、慌てて切った。


この事態、何とか乗り越えねば。


女の子2人のニュースショーごっこ


眠れぬ夜の「深夜便」

出歩かないせいか、夜になっても眠くならない。

かといって、することもないので10時過ぎには就寝する。


無理に眠ろうとは思わない。

夜は灯りを消して、体を横にし、目を瞑るだけでいい。

枕辺に置いたiPhoneで、ラジオを聴く。

眠らなくてもいい贅沢を味わう。

夜は、別の魔物の棲む時間だ。


深夜の3時過ぎに、加山雄三がやって来た。

昔と違い、聞こうと思えばYouTubeで簡単に聴けるのに、ラジオの特集を楽しみにしてしまう。

わたしも古い人間だなあ。

蘇るのは思い出ばかりだ。


加山雄三が若大将シリーズでブレイクしたのは半世紀も前、通学仲間だったクラス一の美少女Tさんが、寝ても覚めても「雄三さん」にぞっこんだったからだ。

当時、加山雄三は30歳、中学生のわたしにとっては「おじさん」で、よりにもよってそんな年寄りを、と冷やかに思った記憶がある。


その「加山雄三」を見直すきっかけになったのが、成瀬巳喜男監督の映画だった。

わたしも還暦に近い歳になっていた。


小津安二郎と違い、成瀬巳喜男の名を知る人は少ない。

芸術家肌の小津と、職人肌の成瀬、と比べられることも多かったという。


「乱れ雲」だったか、司葉子の夫を交通事故で死なせてしまう加山は、若い会社員の役だった。

加害者と被害者の立場を超えて、惹かれ始めるふたりだったが、旅館まで行きながら結ばれることもなく終わる。


その旅館で加山の歌う「南部牛追唄」が、とにかく泣けた。

こんな美しい男だったのか、

今のタレントにはない、キリリと引き締まった男らしさに、わたしはもう驚きっぱなしだった。


今もお元気な加山さん、

もうあの頃の瑞々しさはないけれど、

あの生命力というか、男らしさは誰も真似できない。


この歳になっても発見は多い。

今まで迂闊に生きてきた証拠だろう。



雨の朝


そろそろ新緑の季節

くずし字入門

インターネットを始めて間もない頃は、やたらとメールフレンドを募集した。

当時(20年前)は、本名や住所を当たり前のように記載した。

募集すれば女であるというだけで、履いて捨てるほどのメールが来たのだ。

相手は選り取り見取り。


ふくろう博士はそんなメールフレンドだ。

メールや写真だけなら借り物でも済むが、毎日更新するホームページなら、その人の交流関係や家庭の様子も垣間見られる気がした。

当時はブログやSNSもなく、彼はタグを切って作っていると自慢そうに言った。

ホームページビルダーでさえ安易なインスタント食品扱いされた、そんな時代だ。

その20年来の友人、ふくろう博士が大島真寿美の書いた新聞記事を読んで発奮、自分もくずし字を読めるようになりたいと、紹介されていた本をAmazonで購入したところ、間違って2冊も購入してしまったのだという。


というわけで、そのおこぼれに預かることになった。



これが面白いのだ。

江戸時代の草双紙が手本なので、半分くらいは今の面影を残している。

現代のカナとは全く異なるものだけを覚えればいい。


幸か不幸か、家に篭る日々が続いている。

10年前に買った写経セットもやっと日の目を見ている。


くずし字挑戦のチャンス、ではある。

ただし、気力がいつまで続くのか、

外出自粛は思いの外辛い。