Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

映画『男はつらいよ』

もう50年の歳月がたっていた。

50年たって、やっと寅さんに会ってもいいと、

思えるようになった。

第一作が公開されたとき、まだ高校生だった私はもう古希に近いなんて。

でもそれが50年という歳月。


親が堅物で、テレビはNHKしか観せてもらえず、GSなんてとんでもない、追っかけはバカのすることと、今思えば狭量な価値観で縛られていたっけ。

親も高小卒の学歴を恥じて、なんとか這い上がろうと子育てにも必死だったんだろうな。

寅さんのようなアウトロー的生き方など、とても許せなかったのだろう。


20年前、見よう見まねにHPを始めた。

そこで知り合った女性は、

子どもの頃、両親の離婚を経験したせいか精神的に不安定で、投薬を受けながら生活していた。

特に具合の悪い日は、弟の部屋に行って「寅さん」を借りるのだという。

弟も「寅さん」の大ファンで全作揃っていたそうだ。

寅さんを観るとホッとする、

不安定な気持ちが癒されていくと

日記に書かれていたことが印象的で、

余計に寅さんが見づらくなった。



前置きが長くなりましたが、

先日、やっと第一作を観ることができたのです。

渥美清はもちろん、かくしゃくとした笠智衆、志村喬に出会えたのも嬉しく、半世紀経ったことを痛感します。

もちろん私の両親も亡くなっていて、70過ぎた姉と墓参りをしながら思い出を語ったり。

全てが遠くなっていきます。


マドンナは光本幸子。

いやぁ、懐かしい。

彼女は昔、数少ないNHKの捕物帳に出演していて、たしか尾上辰之助だったかと組んで、腰元役をしていたかと。

まさか生放送ではなかったと思うのですが、あまりにもセリフをよく噛むので、記憶から消えなくなったのです。

その光本幸子さん、今はどうしていらっしゃるのかと検索すれば、お亡くなりになっていて、またもや時の流れを感じることに。



先程、第二作『続男はつらいよ』も観ました。

こちらのマドンナは佐藤オリエさん。

キレイな女性にすぐに惚れて、

女性も寅さんになら心を許して気楽に話す。

それが罪作りだとは思うものの、

バカを連発するおいちゃんのように、いじられキャラの寅さんのしょんぼり姿が可愛くて、

それが長期シリーズの魅力になったのかな。

ミニスカートが大流行していたっけ。

そんな風俗を観るのもまた楽しいものです。



箸の持ち方

私が子どもだった頃、何でも人並みにという考え方が全盛だったのか、箸や鉛筆を持つのは右と、両親に厳しく矯正された。

左利きだった私は苦労した甲斐あって?

今は箸や鉛筆は右手で持つ。

反抗できる年頃になってから覚えた針や包丁は左だが。


箸も鉛筆も右で持つのが精一杯だったので、その持ち方にまで神経が回らなかった。

たぶん親もそうだったのだろう。

大人になってから、箸の持ち方が違うね、と言われたことがある。

おかしいといっても、握り箸をするわけではなく、箸と箸の間に中指を入れないだけなのだが。それで不自由を感じたこともなかった。



東野圭吾の1年前の作品をやっと読んだ。

主人公の玲斗はシングルマザーに育てられ、母親は無理が祟って早死に、たった1人の血縁である伯母の千舟に引き取られる。


食事のシーンで、千舟が玲斗に言う。

箸の持ち方が違う、と。

玲斗はこれで不自由を感じたことはないし、本人が困ってなければいいじゃないか、と反発する。

すると千舟は、いつか人前で食事することもあるだろう、その時に恥をかかないためにも正しい持ち方をしなさい、と言う。


私はもはや人前で食事して恥をかくこともない。

私自身、箸の持ち方がおかしい人と同席する機会があっても、それを責める気持ちもない。


けれど、それを育ちの悪さと捉える人たちがこの世の中にはいるということを再認識した。

今更ながらに、自分はそういう上流階級の人間ではなかったことも思い知る。


箸の持ち方を指摘してくれた人とは、今も友人関係を続けている。

でも、やっぱり、育ちの悪さを露見させてしまったのだろうな。


今日の映画、



ロバート・レッドフォードが監督デビューした作品。

兄を事故で亡くした弟の目線で、一家の崩壊が描かれる。

可愛がっていた息子を事故死させる設定は決して〈普通〉ではなく、当時はこのタイトルの意味が理解できなかった。


が、今は思う。

彼らではなく、彼らを取り巻く人々が〈普通〉だったのだと。

これは、普通の人々の不理解の中で、孤立していく家庭を描いていたのだ。



この食事シーンを観ても、普通の家庭ではない。アメリカと日本の、風俗や習慣の違いを差し引いても、この心理的距離感に寒々としたものを覚える。

父親は弁護士なので、やはり中産階級あたりを描いているのだろう

高齢貧困層を描く『ノマドランド』の食事シーンは本当に質素だった。



古い映画を観ると、当時とは全く違う捉え方をしていることに気づく。

これが歳を取るということなのだろう。

霧の朝と『ノマドランド』

早朝なのに暖かい。

見れば牛乳色の霧がこんな里にも立ち込めて、

視界5メートル?



変わらない日々の営みの中にも、

自然界の神秘を垣間見せてくれる。



手に負えなくなると〈災害〉だけど。



どうしても観たい映画があったので、近所のシネコンまで自転車を走らせる。



高専道路の桜は散り初め。


観たい映画は、



一人暮らしになった初老の女性が、キャンピングカーを住まいとし、季節労働の現場を渡り歩く。

仕事はどれも単純労働だが、同世代の仲間にも恵まれ、逞しくこなしていく。


原作はノンフィクションだという。

映画も実際のノマドたちを交え、殆どノンフィクションに近い作りになっている。

開放的な夏ではなく、冬の薄暮を主体にした映像は暗く、体調を整えて行かないと眠くなりそう。


この歳になったら、孤独を恐れてはいけない。

自分の生き方をしっかり見つめ、つかみ取っていかなければ。

飾ることのないヒロインに、ガツンとパンチを食らった気がした。