『少年と犬』
馳星周の直木賞受賞作品。
何となく馳星周は住む世界の違う作家さんのような気がして、手に取り損ねていた。
直木賞を受賞し、いかつい風貌を目にして、ますますその思いは深まった。
なのに何故、読むことになったかといえば、読書会のオブザーバーみたいな人が、イチ押しだと言うので。
そのオブザーバーなる人、図書館の元館長。
模範的な上司とは言い難かったけれど、立場が変われば、意見も変わる。
他の会員さんに比べれば、立ち位置が近いような。
元上司だから?
本好きだから?
深く考えるのはやめよう。
連作短編というのだろうか。
東日本大震災の過酷な日常を背景に、生活に余裕のない男が犬と出会う。
捨ておけずに連れ帰るものの、男にも犬を養う余裕はない「男と犬」
男の運転する車が事故に遭い、同乗していた外国籍のギャングが犬を連れて逃亡、新潟の港近くで命尽きる「泥棒と犬」
さまよう犬を山で見つけ連れ帰るものの、山で事故死する「夫婦と犬」
やっぱり山でさまよう犬をみつけ面倒を見ることになる「娼婦と犬」
老いて猟友会を引退したものの
乞われて手負いの熊を追い、誤射されて命尽きる「老人と犬」
そして東日本大震災で熊本へ疎開していた家族の少年と出会う「少年と犬」
「フランダースの犬」じゃないけど、子犬時代の記憶を頼って、犬が東北から九州まで5年かけて移動する話に泣けた。
これが直木賞向けの作品でもいい。
馳星周さんの作品をもう少し読んでみたい。
たとえ文藝春秋の思うツボでも。
自分の思い込みや好きなジャンルから、たまには離れてみたい。
読書会のいいところだ。
先日の「おしまい予言」では、そんな予知能力はいらない、おしまいなんて知りたくない、という意見も出た。
知りなくないのは誰も同じ。
が、予知能力というより感覚で
関係の終わりがわかることはよくある。
双方ともに同じ感覚を得れば問題ないけれど、
片方しかわからなかったら、「思い思われ、振り振られ」の世界。
世の中ままならない。

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