Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

すばらしき世界

ちょっと前に、西川美和監督が『あさイチ』に出演していた。

特に思い入れのある人ではなかったけれど、その〈知的な自然体〉とでもいうような雰囲気に興味を持った。

もちろん新作『すばらしき世界』の宣伝も兼ねているのだろう。

脚本を書き上げるのに3年を要したとか、

出所した人に取材を重ねたとか、

助監督時代に、手に合ったカチンコを作ってもらったとか、

そんなことを淡々と語る。


妙に気になる人になった。

淡々、というところが。


映画『すばらしき世界』は佐木隆三氏の『身分帳』を原作としているという。

近所の図書館にはなかったが、『復讐するは我にあり』も佐木隆三氏の作であると知り、読んでみた。

調べたことを事細かに淡々と述べる叙述に読書は難航した。

今村昌平監督で映画化されているとあれば、それも観たい。

感想を書くことは出来なかったが、ズシンと堪えた。

それほど、重かった。


映画化するということは、2時間前後で観客を納得させる、ということ。

それは長い小説を書き続けることより難しいかもしれない。

財力も人力も比較にならない。


もう10年以上前になるだろうか、気鋭の女性監督(西川さんとは別の人)の作品に惹かれ映画館まで出掛けたが、ハンディカメラの揺れがひどく、それも演出のうちとわかってはいても耐え難かった。

女性監督作品に、つい二の足踏んでしまうのはそのせいだろうか。


彼女の前作『ゆれる』のDVDを借りてみる。

タイトルからして「ゆれ」そうだ。

それを観たのが昨日。

そして確信した。

この人のテイストなら大丈夫。ひとりで映画館に行ける(笑)


近所のシネコンまで歩いて40分。



上映は小さなスクリーンだったが、平日でも10数人の人が既にいる。

私の観る映画にしては賑わっていることにホッとする。


今村昌平作品と同じ原作者の犯罪モノだが、目線がまるで違う。

時代の違いもあるだろうが、犯罪歴のある人が孤独であることに変わりなく、

逃走する殺人者と、刑期を終えた殺人者の違いといえばそれまでだが、

このような人たちにとって世間とは何と生き難いものなのだろう。

ある意味、ヤクザの世界よりもシビアなのかも。


後味が良くて、よかった。

『ゆれる』のような終わり方をしたらどうしようと思った。

年取るに従って、曖昧な部分を残せなくなる。


映画館で映画を観ることの楽しさ。

早くも次作は何にしようと、ランチしながらウキウキとパンフを観る。






そうそう、タイトルに敢えてカギカッコを付けなかったのは、


人生の幸福度が最も高くなるのは、

60代から70代にかけて、とあったから。


まさに今の私だ。

もう夢や目標に向けて走らなくてもいい。

ありのままに、出来ることをして過ごせることの有り難さ、

そして健康であれば、もう言うことはない。