気がつけば、
『気がつけば、終着駅』
予約したものの、なかなか順番が回ってこなかった。
前作の『90歳。何がめでたい』はベストセラーとなり、すっかり体調を崩してしまったとか。
これが最後の出版だという。
一度発表されたものを再出版することに難色を示すと、
「50年前ですよ。たとえ読んだとしても、忘れてしまっていますよ。亡くなっている方も少なくないと思いますが」
と編集者。
半世紀とは、そんな歳月。
既に他界した両親よりも高齢な佐藤愛子さん、
「人生の終盤、欲望も情念も枯れゆくままに」
がいい。
時代の風潮は「いくつになっても恋をしよう、セックスもしよう、せっかく生まれたんだもの、楽しまなくちゃ」と前向きだが、欲望が消えれば、嫉妬も心配も見栄も負けん気も消えていく。楽に生きることができる。
それじゃあまりにも寂しい、と言う人には、
「寂しい? 当たり前のことだ。人生は寂しいものと決まっている。寂しくない方がおかしいのである」
この竹を割ったような小気味よさ。
常人の数倍の生命力があればこそ、ではある。
仕事を辞めて気ままな年金生活に入った時、
これからは穴を掘る生活をしようと思った。
お金を使って横に広がるのではなく、
井戸を掘るように自分を掘り下げてみたい。
好きな読書と映画に明け暮れたい。
人の欲望にも、自分の欲望にも振り回されたくはない。
それが、ささやかな願いだった。
孫が学校帰りにやってきた。
常々、シミ、シワをバカにされているので、それを逆手に取り、自分から言った。
実家のお仏壇に入っていたという本を見せ、
「この本はね、バァバが生まれた年に出来たの。ほら、もうシミだらけで、こんなにボロボロ」
それは、戦病死した父の父を載せた『気賀町戦没者明鑑』
静岡県の小さな町で、337名の戦没者を出していた。
ずっとお仏壇に埋もれていたらしい。
母と姑とは不仲だったから、こんな本は見たくも話題に載せたくもなかったのだろう。
シミだらけになっているのは、祖父の頁だけだから、祖母は何度も何度も読み返したに違いない。
浜名湖の連絡船を運転して数十年、応召された時は40代の後半、戦後は捕虜となり、北ボルネオの収容所で、マラリヤで没した、とある。
酔うと、父は戦争の話をよくした。
が、この話は聞いたことがない。
本当に辛い話は、酔っても出来なかったか。
父も応召され、満洲に送られた。
一足早く出発した祖父は、父を見送れないことを心残りにしていたという。
そんな話が書いてあった。
残された遺族も、みな鬼籍の人となった。
その子どもたちも老人の仲間入り、欲からは縁のない生活をよしとするようになりつつある。
時は流れる。


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