学生時代という幻想
原田マハという作家がいる。
数年前に、友人から『楽園のカンヴァス』を勧められて、この作家を知った。
もちろん作品は面白かったが、アートを題材にしたキュレーターの作品ということで、少し引いていた。
作家の経歴を読むと、関西学院大学文学部日本文学科卒とある。
母校の出身者だ!
関学卒の有名作家といえば、それこそ団鬼六くらいしか思い浮かばない。
それが学部も学科も同じ女性が(10年後輩だが)売れっ子作家になった! とわたしは舞い上がった。
しかし、彼女はキュレーターだ。
その資格はきっと早稲田大学の二文で取ったものだろう。
関学は何となく入学してしまったものの飽き足らず、本当にやりたいことに目覚めて早稲田に学士入学したに違いない。
つまり彼女に取って大学とは、もちろん早稲田のことだ、と。
小池百合子氏はわたしと同い年で、関西学院大学社会学部に入学しているが、半年でカイロ大学へ入学し直している。それと似たようなものか、と。
この本を借りたのは、潜在的に気になる作家だったからだろうか。
そして驚いた。
彼女は関学の女子寮で暮らし始めた当時の友だちと、今でも共に旅を楽しみ、また神戸の安下宿での貧乏生活を懐かしんでいるのだ。
大学とは、関学のことなのだという。
その後の活躍の華やかさを思うと、やはり出来が違うと思わざるを得ないけど、そういうことに嫉妬する歳では、もうない。
飄々と世界を股にかけ、旅をしながら小説を書く、そのクオリティの高さに、ただただ拍手したいだけ。
相変わらず、蒸し暑い。
コロナの脅威は収まらず、お盆のささやかな集まりまで脅かされている。
強がることは何の得策にもならないとは思いつつ、叔母のお葬式も、姉と約束していた9月のコンサートもキャンセルすることになりそうで、そんな自分が情けない。
でも、我慢しよう。
ひたすら我慢の夏。
戦争を知らないで、ここまで来れたのだから。
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