阿川佐和子さんの『叱られる力』を読んでいる。お父上、阿川弘之氏の厳父ぶりに、程度の差こそあれ、昭和の父親はこうだったと懐かしくなる。
朝ドラ「スカーレット」の常治さんも理不尽な人だったが、その理不尽を飲み込むことが家族の絆を形成していた。
私の父も怖かった。
酔うとちゃぶ台をひっくり返して怒った。
私も姉もその言葉に怯え、顔色を伺って生きていた。
今でも会えば、父の理不尽な怒りの話になる。
あれは中学3年生の時だったか
校外模試を受けるため、一人でバスを待っていた。
が、時間を間違えたのか待てど暮らせどバスは来ない。
そこで気持ちが切れたのか
元々受けたいと思っていた模試でもなし、もうやーめた、と帰宅した。
すると父が激怒した。
「そうやって人生のバスも乗り遅れるのだぞ」
なんて大げさな。
私の人生なのだ、父には関係ない。
そう思ったが、もちろん口には出さない。
臆病者、小心者で模試すら受けに行けない子どもだと思われた。
小心は父の遺伝だ。
父の、小心ゆえの心配だったのだろう。
他界して10年以上が経つ。
最後まで弱音を吐かず、在宅でガン死した父だった。