手書きの文字
友人とはネットで知り合ったので、やり取りはもっぱらメールだった。
そのツールはあっという間に人と人を結びつけ、速さと安さ、手軽さのおかげで、どれだけ楽をしただろう。
その反動なのか、たまに鉛筆を持つと漢字が書けない。
先日は「かもめ食堂」と黒板に書こうとして、堂の字がどうしても思い出せず、(アガッていたこともあるけれど)我ながら啞然となった。
そんな時、友人から葉書が届いた。
62円はがきに1円切手が足してある。
ああ、わかるわかる。
知らぬ間に変わる郵便料金、今やいくらでハガキが届くのかも検索しなければわからない程。
年賀状は一昨年に辞めたけれど、頂いた人にはお返事している。
今年もその葉書が2円の料金不足で戻ってきた。
どうせ小額切手を買うなら、過去の年賀はがきも懸賞で一掃しようと大人買いした。
いつの間にやらハガキ料金は63円、
手持ちの年賀はがきには13円も貼らねば使えない。
それでもせっせと新聞のクロスワードや漢字クイズを解いては送る。
宛名や答えは勿論手書きで。
そんなことはどうでもいいのだった。
(すぐに話が逸れる)
友人のハガキには200字詰めの原稿用紙がコピーされ、きっちり200字で文章がまとまっている。
「ただ線が引いてあるだけなのに原稿用紙には不思議な魅力がある」
から始まる手書きの文字は、同世代であるのにきちんと楷書で、
ちょっと居住まいを正した感じで並んでいた。
原稿用紙、懐かしいなあ。
義務教育の頃は嫌いだった。
読書感想文は5枚程度と言われても、そんなに書くことがあるはずもなく、ちっとも埋まらないマス目が恨めしかった。
卒論は大学指定の300字詰で。
こちらも枚数指定があり、苦労したっけ。
原稿用紙はとうとう使いこなせなかった。
だからこそ、その窮屈さが懐かしいのかも。
今や字数制限がないと、つい書き過ぎる。
止まらないおしゃべりは老人の宿痾だ。
これを機会に字数制限にチャレンジしてみようか。
アンチエイジングにはいいかもしれない。
以下、おまけ
原稿用紙をハガキに印刷できないかとネット検索していたら、突然、
「あなたのiPhoneはハッキングされています。今すぐApple Storeにアクセスして対応してください」
みたいな警告文が現れた。
「すぐに対処する」をタップするのを堪え、パソコンのウイルスバスターを入れることに。まだ2台分の余裕があるけれど放置していたのだ。
ウイルスバスターモバイルをDLしてみれば、スマホは「異状なし」
取り敢えずその程度の能力はまだ残っていたと、ちょっと安心した。
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