Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

韓流映画は火炎放射器?

中野信子さんの本を何冊か読んだ。

といっても膨大な著作の中から、

近所の図書館にあるものだけを。

最近手にした『人はなぜ、他人を許せないのか?』


TVなどでの露出もあるからか、見るたびに垢抜けていらっしゃる。

オブラートに包んだソフトさは計算の上かも知れないが、スルスルと喉越しよく通り抜けていく。それも頭の良さの証左かも知れない。


その中に、こんなエピソードがあった。

2006年のサッカーワールドカップ(ドイツ大会)のテレビ放映をイタリアで観ていた大学院生の著者は、日本が逆転された場面を「大変な盛り上がり」を見せて騒ぐ韓国人グループに驚いたという。

それは日本対オーストラリア戦だった。

対戦国が韓国ならわかる。

が、ただ日本が苦境に立ったというだけで喜べる国情が、韓国にはある。

そのことがショックだったと著者は語るのだ。


その状況は今も変わりなく、相変わらずニュースを観れば、心穏やかではいられなくなることが多い。

勿論、この本の趣旨はそんなところにはなく、そのように簡単に人をカテゴライズし決めつけることの危険性を説いているのだが。


韓国映画をDVDで何本か、観賞した。

『バーニング 劇場版』『シークレット・サンシャイン』(イ・チャンドン監督)

『殺人の追憶』『母なる証明』『グエムル 漢江の怪物』(ポン・ジュノ監督)

『海にかかる霧』(同プロデュース)

『タクシー運転手』(ソン・ガンホ主演)


キムチパワーと言われているらしい。

知り合いは「火力発電所」のようと表現したが、私に言わせれば火炎放射器か。

組織というより個人の揺れ幅がものすごいのだ。

喜怒哀楽の表現も、暴力性も。

性表現(というより性欲?)も直截的。

それでも、どの作品も間違いなく感動する。

観賞時間は2時間近くと、どれも長いのだが。


導入は卑近な生活風景から。

どちらかと言えば貧しく、庶民というより底辺を描いているかと思うほど。

そんな描写が必要なの? と観ていれば、いつのまにやら怒涛の展開に巻き込まれている。

その「怒涛」が火炎放射器並みのパワーなのだ。

実はレンタルビデオの気楽さで『バニラスカイ』も借りてみたが(トム・クルーズ、キャメロン・ディアスが好きだった)、そんなもん吹っ飛んでしまうほど、韓流パワーは半端なかった。


が、同時に思う。

あの船乗りたちが(『海にかかる霧』)

光州の市民たちが(『タクシー運転手』)

隣にいたとして、私は映画に感じるような親愛感を得られるだろうか。

さっぱりわからない言葉と、激しい感情表現だけで恐れをなしてしまうかも知れない。


けれど冒頭の本に戻るなら、

人を決めつけてしまわない基本は「自分を客観視」(メタ認知)すること。

韓国映画に親しむことも、

韓流ドラマを楽しむことも、

安易に決めつけない脳にする一助とはなりそう。

フィクションと現実の落差に目が回りそうになったら、

これもメタ認知の一部、と思うことにしてみようか。