Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

季節外れの雪

窓のない部屋に寝ているけれど、雪は気配でわかる。

外がほの明るいのだ。


社会生活している頃は雪が嫌いだった。

それは生活のリズムを崩す不届き者だった。


還暦で子どもに戻り、

雪国に暮らす人には申し訳ないけれど、濃尾平野の端っこでは貴重な雪に、

今は子どものようにはしゃいで雪の中を歩く。

目的地は図書館だ。


最新刊の文藝春秋に芥川賞受賞作品が掲載されており、館内閲覧なので椅子にかけて読む。



『推し・燃ゆ』はじっくり読みたいので、貸出可能になるのを待とう。


有働由美子さんと倉本聰氏の対談があった。

そこで、あるホームレスのことが語られる。

冬はマイナス20度になる富良野で、ホームレスは昼は図書館、夜は暖房付きの駅のトイレで寝る。

彼のことを倉本氏は「哲学者のよう」だったという。

人間の格は、経済力や社会的肩書ではなく、もっと内面的なもので決まるのだと。


うーむ、考えさせられる。

今、私は何をしたらいいのだろう。


ランチはマクドナルドまで歩いて。



雪は、降ったり止んだり。

寒いとはいっても、もう日差しは春の気配。

アスファルトが湯気を立てている。

季節のせめぎ合いは、いつしか春が優勢に。


『シザーハンズ』という映画が好きで、再びDVDを借りてきた。



氷細工が街に雪を降らせるという設定が美しい。

ティム・バートンと組んだジョニー・デップの出世作だ。


一昔前のアメリカ郊外の住宅地。

夫が出勤すると、ヒマな主婦たちの井戸端会議に花が咲く。

なんとも懐かしい風景だが。

エイボン化粧品のセールスレディが、ふと見つけたシザーハンズのロボット(エドワード)を家に連れ帰るのが、そもそもの始まりだ。

気になったのは、その行為を母性的な親愛感で捉えて、誰も不審に思わないこと。

恋愛の対象は若い娘の方であり、

せいぜい50代?の母親は対象外なのだ。

それどころか、同世代の主婦がエドワードを色仕掛けでモノにしようとしたり、

もう滑稽さの対象でしかない。


エイボンレディの母親も十分若くて魅力的、

でもそれは〈恋愛〉ではないのだ。


同じことを『女と男の観覧車』でも感じる。

こちらは2018年制作のアメリカ映画。

ウッディ・アレン監督の49本目の作品で、主演はケイト・ウィンスレット。



ケイトは連れ子のいる後妻役。

夫のハンプティにも前妻との間に娘がいるが、ヤクザな男と結婚して義絶状態。

ケイトの連れ子は火遊びの常習犯、メリーゴーランドのモギリをする夫は冴えない。

いやいやカフェの女給をするケイトには、元女優のプライドがあった。

が、それも義理の娘が登場するまで。



いつも背景に観覧車が回る。


実はケイト扮するジニーは不倫をしていた。

その相手はチープな文学男だが、ジニーは一人で燃え上がってしまう。

それもこれも、夫や息子への不満の裏返しなのだが、本人は気づかない。

が、浮気男は当然のことながら、若い娘の方に恋心を抱く。


さすがにウッディ・アレンは年増女の哀しみを見逃さない。

ケイトにウッディ節をたっぷりと語らせるのはさすがだが。


女が歳を取ることの意味をいやでも考えさせられる。

ケイト・ウィンスレットは作中でまだ40歳!だというのに。


そうか、40歳にして、年増女の悲哀か。

監督は80代にして次作を期待されているのにね。