Linの気まぐれトーク

映画と小説の日々

ラッセ・ハルストレイム監督

たまたまジョニデ繋がりで、

『ギルバート・グレイプ』を観て、

その繋がりで『サイダー・ハウス・ルール』に。


20年前の公開時に映画館で観ている。

そして、その終わり方に納得できなかった自分を覚えている。

どちらかといえば復習したくない作品だった。


けれど、他のSNSの映画コミュを主宰する人は、

「10年ほど前から過去の作品を見直すことが多くなった。そして見方の違いに驚いたりする」と。


20年ぶりに観て驚いた。

主人公が孤児院に戻るラストを、すんなりと受け入れている。

誰にとってもバラ色の未来はない、そんな映画なのに後味がよいと思っている。


孤児院を飛び出して外の世界を経験したが、

どこにも同じような苦労はあり、

人が生きるということは、

それを一つずつ丁寧にこなしていくこと。


「サイダーハウス」とは林檎園のこと。

孤児院は暗く、

飛び出した世界は色彩に満ちている。

それでも彼は帰る。

その意味を考えてみよう。

やっぱり見直すことは必要だ。



そうなれば次は『マイライフアズアドッグ』まで戻り、

ラッセ・ハルストレイム監督の才能が花開いたスウェーデンの名作を観たい。



こども時代を描いた作品は、ある意味〈神話〉だと思う。


気の弱い少年が、母と愛犬の死を乗り越えて成長、と書いてしまえばありきたりだが、


1980年代、世界はまだ優しさと人間味に満ちていた。

ソーシャルディスタンスとか言われる時世だからか、

人々(野次馬)が大騒ぎする、

古き良き時代の〈神話〉に、じんとくる。