インナートリップ
図書館で新作を借りるのは 作家を殺すようなもので、申し訳ないと思うものの、年金暮らしでは本代もままならない。
積読も大事とは聞くが、
本をため込んでしまうと、今度は処分が大変だ。
で、読書欲はもっぱら図書館で解消、ということになる。
先日、借りた本。
伊藤比呂美さんのエッセイ、思いの外、多くて驚く。
どれも身につまされるタイトルばかり。
「あたしはあたし」は、彼女のモットーみたいなものらしく、当然、その後は「人は人」と続く。地続きではないというが。
今年の読み始めは、著作権の切れた森鴎外の全集だった。
昨年、尻切れトンボになってしまった『澀江抽齋』を、改めて読んだ。
今度は岩波書店の『森鴎外全集』で。
半世紀近く前の本だ。
旧仮名遣いは覚悟していたけれど、
全ての漢字にルビがふられ、それが旧仮名なので読みにくいこと。
これは発表媒体が新聞小説だったからと思われるが、それにしてもこんな新聞小説を読んだ当時の人たち、凄すぎる。
日本人の名前の多さにも呆れる。
まるで出世魚だ。
明治になって、やっと今風な名になる。
子どもは幼くして亡くなり、それを淡々と語る。
主人公?の澀江抽斎にしても、作品の半ばで命を落とす。
その後は、もっぱら妻や子どもたちの消息。
読後、思ったことは。
人はひとりでは生きられない。
澀江抽斎という1人の男の生き様を探れば、これだけの人の人生が浮き上がる。
その壮大さに目が眩む。
5年経ったらまた読んでみよう。
昨年予約していて、順番が来た山本文緒さんの新作
夢中で読んで、読んで、読み耽った。
直木賞受賞された頃に、まだ家にいた娘と一緒に夢中になった。もう10年以上前になるのか。
彼女の描く女性たちが、とにかくひと事とは思えない身近さだった。
久しぶりに「あさイチ」に出演されたのを観て、受賞後、バランスを崩しパニック障害のようになっていたと聴くと、それもひと事ではないような気がする。
この作品に、更年期障害に苦しむ母親が登場する。
私のような、ホットフラッシュも「代謝がよくなった」と喜ぶ人間が、更年期障害なんてと笑い飛ばすことが、1番傷つくことなのだろう。
ああ、人と付き合うのは難しい。
コロナも治まらないし、しばらくは読書でインナートリップかな。
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